宝仙堂
一〇〇年の歴史

宝仙堂100年の歩みは、
“壮健”への飽くなき
探究の歴史です。

HOSENDO 100th History

人々が幸せに暮らす、その土台にあるのは「健康であること」。
1921年の創業以来、私たち宝仙堂は、その時代に生きる人々の
充実した毎日を支えることを追求してきました。
妥協を許さず、品質にこだわり抜くこと。
まっすぐにお客様のお悩みと向き合うこと。
100年を経て、多様なヘルスケア製品を提供するようになった
今も、その信念は受け継がれています。

1921 1945創業期

「大正ロマン」「大正デモクラシー」など、
多くの言葉が生まれた真っ只中の
大正10年(1921年)、宝仙堂の前身
『澤田商店』『澤田寶仙堂』は創業されました。

1921年(大正10年)

澤田助三郎(政久)板橋本町に薬種商『澤田商店』を創業。

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1925年(大正14年)

神田明神下に移転。『澤田寶仙堂』を開業。

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1927年(昭和2年)

宝仙堂『キレー錠』の、今でいうアドカー・キャンペーン。

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1930年頃(昭和5年頃)

宝仙堂の樺太代理店を受任されていた伊藤商店さん。後列左から3人目が初代。

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大正時代のモダンな銀座通り。

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昭和初期の賑わう浅草。

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1932年頃(昭和7年頃)

陸軍省の所管に栄養剤を納入開始。写真は戦前の神田須田町交差点。

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1940年(昭和15年)

社員の出征を激励。

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大正ロマンと『澤田寶仙堂』

創業当時は、第一次世界大戦後の好景気が終わり経済的な混乱や、スペイン風邪の流行などで不安定な状況が続く一方、開放的なロマン主義が広まるなど、文化的に華やいだ時代でした。
初代澤田助三郎(政久)は、こうした時流を読み、医薬品の中でも「婦人薬」並びに「強精強壮」分野を重視。専門性の高い薬局として、北は樺太から南は九州まで販売代理店を拡大し、陸軍病院へも納入するなど手広く事業を展開しました。

1950 1976復興期

昭和25年、焼け野原から宝仙堂は復興。
高度経済成長を駆け上がる
日本とともに、宝仙堂も歩み続けます。

1950年(昭和25年)

神田明神下に『澤田宝仙堂』を復興、事業を再開する。

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1957年頃(昭和32年頃)

江戸三大祭りの一つ『神田祭』。氏子の御輿は宝仙堂前の四辻に集まる。

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1964年(昭和39年)

高度経済成長期を象徴する東京オリンピック。

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1965年頃(昭和40年頃)

澤田賢三郎(右・のちの宝仙堂2代目)、会社慰安旅行にて。

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1967年(昭和42年)

車も多く行き交う神田明神下交差点。

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1969年(昭和44年)

卸商『マムタン本舗』を開業。(現・第一営業部営業三課)

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『パワーライフ』誕生秘話

戦後の建て直しから再スタートした二代目澤田賢三郎は、会社がようやく軌道に乗り始めた頃、当時の医療技術ではかなり難しい心臓の手術を受けました。手術は成功したものの、術後の快復が思わしくなく、業務もままならない状態が続きました。
そんな折、知人との会話の中で知ったすっぽんとの出会いにより、体力を快復。「すっぽんに命を救われたこの感激を、より一人でも多くの人と分かち合いたい」と研究を重ね、後年には超ロングセラーとなる『パワーライフ』が誕生。宝仙堂の研究・開発力が大きく成長した時代でもありました。

1977 1999激動期

サプリメント通販のパイオニアとなる。
2代目社長 澤田賢三郎が『スッポン博士』として
一世を風靡しました。

1977年(昭和52年)

『宝仙堂ビル』が神田明神下に完成。

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1980年(昭和55年)

超ロングセラー商品『パワーライフ』誕生。

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数々の雑誌広告に登場する『スッポン博士』。

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日本スッポン研究所(現・千葉工場製品開発部)を設立。

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1983年(昭和58年)

盛況を博す、当時の自社コールセンター。

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1984年(昭和59年)

『宝仙堂千葉工場』千葉県印旛郡(現・八街市)に竣工。

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1986年(昭和61年)

世界初の亀の水族館『伊豆アンディランド』(現・iZoo)を開園。

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すっぽんへの真摯な想い

高品質のすっぽんをお客様に届けるため、宝仙堂では自社工場にて養殖を行なっていました。すっぽんは環境に敏感なため、ほんの少しの水質や水温の変化で病気になり、簡単に死んでしまいます。水温。水質。光。音。餌。そして一水槽に対するすっぽんの数。あらゆる面で自然に近づけるよう、研究と実験が日々行われました。
また千葉工場では、すっぽんへの感謝の想いを忘れないよう、僧侶にお経を読んでもらう「すっぽん供養」を実施。更なる品質を求めて大分県安心院のすっぽんを使用している現在もなお続けられる、宝仙堂の恒例行事です。

2000 2021飛躍期

3代目社長 澤田昭紀が
『宝仙堂の凄十』をプロデュース。
コンビニエンスストア、ドラッグストアに
販売ルートを確立します。

2005年(平成17年)

構想から6年、世界中から厳選された凄系素材を集めた『宝仙堂の凄十』誕生。

pic2004年に開発された『宝仙堂の凄十』は
現在もシリーズを拡大。

2005年(平成17年)

『宝仙堂の凄十1day パック』をコンビニエンスストアにて販売開始。

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2016年(平成28年)

香港に進出。『マニングス』にて宝仙堂製品の販売を開始。

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2017-2019年(平成29〜31年)

千葉マリンスタジアムにて『凄十パワーナイター』を開催。

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2019年(令和1年)

『宝仙堂の凄十』TVCM記者発表会~紫吹淳さんと金子昇さん。

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2018・2019年(平成30・31年)

香港『ワトソンズ』よりHWBアワードを2年連続受賞。

pic左・澤田昭紀 / 右・株式会社龍角散 藤井隆太社長

2020・2021年(令和2・3年)

国産生薬にこだわった、指定医薬部外品
『あすか温活内服液』『あすか温活内服液α』を新発売。

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21世紀の健康を支える

三代目澤田昭紀は「全世代を支える自助健康」をテーマに、時代のニーズを捉えた新発想の様々な製品を開発しています。特に『宝仙堂の凄十』シリーズは、独自のコンセプトとマーケティング戦略で大ヒットし、全国のコンビニエンスストアやドラッグストアでの販路を拡大してきました。また、『すっぽんコラーゲン』『美のフローラゼリー』『あすか温活内服液』など、女性の美や健康を支える製品の販売にも力を入れています。

そして、宝仙堂は
次の100年へ

創業から100年、
その間に生活や価値観は変化し続け、
それに応える製品を開発してきました。
その中においても宝仙堂が
大切にしてきたのは、
“健康はたから”という揺るぎない理念。

多様化するライフスタイルに
おいても変わらない、
人々の健康への願いに応えるべく、
安心安全で時代のニーズに応える
さまざまな製品づくりを、
これからも追求してまいります。

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